順平の日記

写真家 上田順平の日記・エッセイ・お知らせなどを発信するブログです。皆様よろしくお願いします。

Picture of My Life トークライブ in 梅田蔦屋書店 9/3(日)14時〜16時

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 来週の日曜日,9月3日14時〜16時に「Picture of My Life」を展示させて頂いている,梅田蔦屋書店さんで出版記念のトークライブ&サイン会を行います。
本作を作った動機と経緯,これからの事なんかを話したいです。「Picture of My Life」の手製ダミーブックも持って行きます。
 
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Picture of My Lifeを見て、あなたの大切な人達を想ってくれたら嬉しいです。ご都合が宜しければぜひいらして下さい。上田家全員集合でお待ちしております。
 
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4. 悪い夢

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リビングのすみっこで、母がカベの方を向いて床に正座している。 

「なんでそんなとこで正座なん。ソファか椅子にすわったらええやん。」

 

「ここがいいの。落ち着くから…。」

「夜は寝れた? 体は大丈夫?」

「寝てない。頭が重たいの。脳が圧迫されるみたいで不安になる。ごめんネ…私が悪いの。」

 

洋服が掛けてある2畳ほどの狭い部屋で、包丁をもってしゃがみこむ母。

リビングに母がいないことに気づいた父が母を探している。

 

母を捕まえた父が怒鳴りつける。「おまえは何してんねん!なんでそんなに弱いんや!俺までおかしなるわ!!!」感情のタガが外れた母は大声をだして泣いている。父を振り切って、包丁を振り回す母。

 

「なにしてるん!やめろや!」

目をさますと、今自分がいる場所がどこなのか分からなかった。「タイや…、夢か…。」

心配になった僕は2週間ぶりに家に電話をした。しかし、何度コールしても誰も出ない…。

 

初めての海外は興奮の連続だった。日本語が通じない中、片言の英語で意思表示するのが楽しかった。両親のことや、自分のこれからのこと、わずらわしい事は何も考えなくて済んだ。海辺で1日中本を読んだり、タイの若者達と酒を飲み、適当な英語で朝までバカ騒ぎした。ただ時間とお金を消費していれば良かった。日本を出て1ヶ月、タイ人の仲の良さそうな夫婦と飲んでいて、ふと両親のことを思い出す。「オカン元気かな❔」翌日の昼過ぎに目を覚まし、ふらふらと部屋を出て、街角の公衆電話から自宅に電話した。

 

「もしもし、順平です。」

「おう、順平か!自分今どこおんねん、章一にかわるから待てよ。」

電話にでたのは父の職場の同僚だった。なんで?

 

「もしもし、おまえどこおんねん。今すぐ帰ってこい。」

「えっ、なんでやねん。後1ヶ月タイにおる予定やねん。」

「ええから帰ってこい。」

「オカンはどうしてんの?」

「帰ってこい・・・。」

「なんで!?なんかあったん?オヤジは?」

「ええから、すぐに帰ってこい・・・。」

 

兄の声は震えていた。大変なことが起こったようだ。2人とも死んだか?両親が車で単独事故を起こしている様子が思い浮かんだ。

埃っぽいクラビの町を宿に向かって歩きながら、考えれば考えるほど、2人はもういないような気がした。友人に事情を話してチケットの手配など帰国準備をしてもらった。何も考えられない。何もできない僕を心配した友人がタイからマレーシアまで送ってくれて、1人日本への飛行機に乗った。ただ、両親が生きていてくれることを願って。

 

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「Picture of My Life」を展示させて頂いている,地元大阪の梅田蔦屋書店さんで出版記念のトークライブ&サイン会を行います。9月3日(日)14時〜16時です。
本作を作った動機と経緯,これからの事なんかを話したいです。「Picture of My Life」の手製ダミーブックも持って行きます。ご都合よろしければいらしてくださいね。

 

3. 逃避旅行

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おかん元気ですか?

元気じゃないんやろうな~、暗い顔してんねんやろうな~、と順平は思います。

順平はおかんが心配です。親父もじいちゃんもおばちゃんも兄ちゃんも みんなで心配しています。おかんは今、暗い事や悪い事を考えすぎるようです。今、おかんがすべき事は、いろいろな物事をたのしく、うれしく考える事だと思います。だからと言ってあせらなくても良いのです。人生は長いのです。ゆっくりで良いのです。順平はそう思います。こっちは何不自由なく暮らしております。親父は大変そうです。順平は大変じゃないです。おかんがおらんくて少しさびしいくらいです。じゃあ ゆっくりしてください。 バイバイ

 

順平 手紙ありがとう

順平の優しい手紙で教えられたり励まされたりしました。

家族皆に心配をかけて申し訳ないと思っています。皆が力を合わせて頑張ってくれている様子が目に浮かびます。貴方が思っている通り私の方は状態は今の所 あまり良いとは言えませんが1日も早く健康になって皆と一緒に暮らしたいと思っています。おじいちゃんも元気なようで何より嬉しい事です。順平もバイトの方大変だけど、体の事を考えてあまりムチャをしないようにネ。

出来たら今のバイトじゃなくきちんと就職してほしいな~と思います。思っていたよりウンと大人になっている順平で私の方が子離れを出来ていないようで本当にゴメンネ。章ちゃんとも仲良くして下さいネ。パパさんのアドバイスも良く聞いてまずは健康第一、自分の体を大切に!まだ色々と書きたい事、おしゃべりしたい事はいっぱいありますが、今は書ききれません。

だんだん寒くなるけれど、風邪等ひかないよう気を付けて下さい。

                                    母より

 

1998年の秋、49歳の母は更年期障害から鬱病を発症していた。いっときは不眠が続き、頭痛、めまい、不安感に襲われた。包丁をもって狭い部屋に閉じこもった後に、千里山の精神病院に3週間ほど入院した。父は母の病状がよほどショックだったらしく、夜中に酔っぱらって、お前のお母さんはキチガイやった。一生なおらん。と泣いていた。父が泣いているのを見るのは初めてだった。この頃の父はいつもの冷静でカッコイイ父とは違っていた。

 

「ごめんネ…。」消え入りそうな声で母は言った。

「なんも謝る事ないやんか…。」 

病院のベッドの上、足を伸ばして小さく座る母は、今にも泣き出しそうな女の子のように見えた。

「もう帰るわ。また来るし。」

「手紙…,ありがとうね。」

「うん。また書くわな。オカンはゆっくりしてたらええねん。」

「うん…。」

鉄格子のついた扉を開けてもらって病院の外に出ると、日は傾き夏の終わりを告げる秋の虫が鳴いている。さっきより頭が重たい。1人電車にのって家に帰った。

 

当時21歳の僕は大学を中退してまで臨んだ芸大受験の全てに失敗してぶらぶらしていた。「なんや、俺落とすて、芸大て見る目ないねんな。」芸術の才能があって頭も切れる。何でもできるはずの自分が、ことごとく社会に受け入れられない現実に立ち往生していた。自己評価と現実の距離は相当開いてる。そんな憂さを晴らすために、友人と半年前から東南アジアの旅を計画していた。パチンコ屋での退屈なアルバイトで旅費を貯めてカメラも買った。旅に出ることで、行き詰まった自分の状況が大きく変わるような気がしていた。

 

10月下旬の深夜、自室で旅の支度をしてた僕は父の足音に気づき、部屋から顔を出して言った。

 

「明日から誠とタイ行ってくるわ。2ヶ月。おかん大丈夫やんな。」

「ほんまに行くんか・・・。まあ、ようなってきてるし大丈夫やろ。ほなこれ持って行けや。」

「えっ、こんな貰ってええの。ありがとう。」

「気いつけて行ってこい。手紙、ありがとうな。お前のお母さん涙流して喜んどったぞ。」

「そうなんや。うん、わかった。」

 

そう言って父は寝室への階段を上っていった。父から2万円も貰うのは初めてだった。

 

 

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 「Picture of My Life」を展示させて頂いている,地元大阪の梅田蔦屋書店さんで出版記念のトークライブ&サイン会を行います。9月3日(日)14時〜16時です。

本作を作った動機と経緯,これからの事なんかを話したいです。「Picture of My Life」の手製ダミーブックも持って行きます。ご都合よろしければいらしてくださいね。

 

2. 両親

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父は1947年に大阪で生まれた。3人兄弟の末っ子で、7歳上の兄と3歳上の姉がいた。小さなころから物を作るのが好きな少年だったそうだ。古い家族アルバムで見た小学生の父は、半ズボンの制服姿で畳に座り、本を手にして恥ずかしそうに笑っている。母は1949年に京都の大江山で生まれた。5人兄弟の末っ子で、兄3人と姉1人。自然に囲まれた環境で育ったせいか、母は大らかでいつもニコニコと笑っていた。

 

僕が小学生の頃、二人の馴れ初めを聞いたことがある。「ママが駅の売店で店員さんをしてた時にね、パパがお仕事で新聞を持ってきたの。最初はなんとも思ってなかったけど、パパが用もないのにお店の前をウロウロしててね、パパの方からママのこと好きになったんやで」と母は教えてくれた。この時の嬉しそうな母の顔と、僕の中に生まれた暖かな気持ちは、何度も思い返す僕の宝物だ。母には父が自分を迎えに来た王子様のように見えたんだと思う。

 

両親は1973年に結婚した。この時、父27歳・母23歳。母のお腹の中には兄がいたそうだ。結婚してしばらくは千里山のマンションに住んだあと、吹田に新しくできた団地に引っ越した。近くには大きな公園があり、兄と走りまわって遊んだことを覚えている。僕が小学校に入学する年、父方の祖父母が大阪市内に建てた3階建ての立派な家で同居することになり、祖父母宅に家族4人で引っ越した。

 

父は結婚を機に絵で食べることを諦め、祖父の経営する運送会社で昼夜を問わずに働いた。深夜は運転手として現場にでて働き、昼間は営業をして、夕方に帰宅する。僕が幼い頃の父はいつも疲れていて近寄りがたい雰囲気だった。絵を描いて母と一緒にいる時の父が好きだった。母は立派な家で住むようになって、忙しそうにしていた。卓球・お料理・生け花。たくさんのお友達に囲まれたお姫様のような母はいつも元気に飛び回っていた。父は妻の笑顔に生きる喜びを貰っていたんだと思う。

 

両親はよく思春期の僕の前でのろけて見せた。リビングでコーヒーを飲みながら、「お前のお母さんは世界一のべっぴんや」と父が言い。母は「色気のかたまりやで~」と笑って付け加える。僕は仲の良い両親の姿に安心をもらい、いつか2人のようになるんだと思っていた。

 

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1. 父の絵

 

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僕が9歳の頃、父から小遣いを貰って絵のモデルになったことがある。11月の気持ち良く晴れた日曜日。やわらかな午後の光が入る窓際に椅子をおいてすわる僕と、2mほど離れた場所にイーゼルを立て、キャンパスに向かう父。静かに手を動かし絵の中に没入していく父は、遠くを眺める僕をキャンパスに描き込んで行く。じっとしていることは難しかったけど、普段あまり話さない父に無言で見つめられる事は、2人だけの特別な儀式のようで嬉しい時間だった。絵を描く父の姿は、憧れの対象として僕の記憶に刻み込まれている。

 

父は人物・風景・抽象と様々な対象を描いた。 父の絵はどれも動いて見えるほど生命感があり、描いた時の心の有りようが伝わって来る。僕が大好きな絵は、新婚当時に母を描いた1枚だ。スピード感のあるタッチ、背景の淡い水色 と唇のピンクが響きあう。光あふれる画面からは、新妻を前にした青年の心の高まりと生きている喜びが伝わってくる。

 目が離せなくなる絵もある。19歳の父が画家を生業とすることを目指していた1966年に描いた「聖歌隊」というタイトルの絵だ。厚塗りの油絵具、赤黄緑黒の暗く重たい色調、不安げに呻く人々、中央には虚ろな目をした青年が立ち、画面外にむかって弱々しく何かを訴えかける。嘆き怯える人々から出る感情が圧力となって絵を見る僕に襲いかかる。母と出会う前の父が世界に対する自らの絶望を直視し具現化した絵。19歳の父はなぜ自らの絶望をこれほどまでに直視する必要があったのだろうか。この絵から聖歌は聴こえてこない。

 

父に影響された僕は絵を描き、見てもらったが、あまり褒められた記憶はない。父の絵と自分の絵では線一本から違っていた。父の線には有機的な表情があり、描いたときの感情がのっているように見える。僕は真似をしようと何枚も自画像を描いたが、父のような線は引けなかった。絵に興味を持った僕を見て、父は喜んでいるようだった。「言葉以外に自己を表現する自分だけの言語を持つことで、おまえの人生は豊かになる。」と父は僕に教えた。

 

芸術といわれるものに触れていくなかで、20歳の僕は目の前をそのまま提示する写真に惹かれるようになっていた。写真はカメラが目の前を絵にしてくれる。僕は心が動いた時にシャッターボタンを押せばよいだけだ。自分の中に消えずに残っている風景。友人や恋人との親密さ、1人でいる時の孤独、僕の感情を掻き乱す物事。そんな目の前を写真にしたい。忘れたくない目の前を組み合わせることで、僕の人生が物語になると思った。これなら父に褒めて貰えるかもしれない。

 

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ブログを始めます。

上田順平と申します。ブログを始めます。

 僕は大阪市在住の写真家で家族の物語を作っています。このブログでは日記・エッセイ・お知らせなんかを発信させて頂きます。皆様おつきあいをよろしくお願いします。

 

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 2017年7月に長年の目標だった写真集を出版しました。タイトルは「Picture of My Life」と言います。この本は両親の相次ぐ自死という、僕自身の悲劇的な体験をとおして夫婦愛、家族愛の意味を問うた作品であり、自死した両親への感謝と強く生きる決意を込めたメッセージでもあります。

父が描いた絵、家族の記念写真、僕が撮影した写真と文章で構成した本書は、2016年に限定21部で制作した手製写真集「Picture of My Life」を元に制作されました。21部の手製本は発売1ヶ月で完売しましたが、オリジナルの質感を再現した普及版として、イタリアの出版社ceibaから500部の刊行となります。

 

”幸福とは愛する人と生きること”

 

僕は本書の制作を通じて得た両親の教えを、世界中の人たちと共有することを願っています。

次の投稿からエッセイを10話投稿します。「Picture of My Life」と僕の自己紹介のようなエッセイです。以前noteで発信したものなので、読んだことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、皆様どうぞよろしくお願いします。

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