順平の日記

写真家 上田順平の日記・エッセイ・お知らせなどを発信するブログです。皆様よろしくお願いします。

3. 逃避旅行

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おかん元気ですか?

元気じゃないんやろうな~、暗い顔してんねんやろうな~、と順平は思います。

順平はおかんが心配です。親父もじいちゃんもおばちゃんも兄ちゃんも みんなで心配しています。おかんは今、暗い事や悪い事を考えすぎるようです。今、おかんがすべき事は、いろいろな物事をたのしく、うれしく考える事だと思います。だからと言ってあせらなくても良いのです。人生は長いのです。ゆっくりで良いのです。順平はそう思います。こっちは何不自由なく暮らしております。親父は大変そうです。順平は大変じゃないです。おかんがおらんくて少しさびしいくらいです。じゃあ ゆっくりしてください。 バイバイ

 

順平 手紙ありがとう

順平の優しい手紙で教えられたり励まされたりしました。

家族皆に心配をかけて申し訳ないと思っています。皆が力を合わせて頑張ってくれている様子が目に浮かびます。貴方が思っている通り私の方は状態は今の所 あまり良いとは言えませんが1日も早く健康になって皆と一緒に暮らしたいと思っています。おじいちゃんも元気なようで何より嬉しい事です。順平もバイトの方大変だけど、体の事を考えてあまりムチャをしないようにネ。

出来たら今のバイトじゃなくきちんと就職してほしいな~と思います。思っていたよりウンと大人になっている順平で私の方が子離れを出来ていないようで本当にゴメンネ。章ちゃんとも仲良くして下さいネ。パパさんのアドバイスも良く聞いてまずは健康第一、自分の体を大切に!まだ色々と書きたい事、おしゃべりしたい事はいっぱいありますが、今は書ききれません。

だんだん寒くなるけれど、風邪等ひかないよう気を付けて下さい。

                                    母より

 

1998年の秋、49歳の母は更年期障害から鬱病を発症していた。いっときは不眠が続き、頭痛、めまい、不安感に襲われた。包丁をもって狭い部屋に閉じこもった後に、千里山の精神病院に3週間ほど入院した。父は母の病状がよほどショックだったらしく、夜中に酔っぱらって、お前のお母さんはキチガイやった。一生なおらん。と泣いていた。父が泣いているのを見るのは初めてだった。この頃の父はいつもの冷静でカッコイイ父とは違っていた。

 

「ごめんネ…。」消え入りそうな声で母は言った。

「なんも謝る事ないやんか…。」 

病院のベッドの上、足を伸ばして小さく座る母は、今にも泣き出しそうな女の子のように見えた。

「もう帰るわ。また来るし。」

「手紙…,ありがとうね。」

「うん。また書くわな。オカンはゆっくりしてたらええねん。」

「うん…。」

鉄格子のついた扉を開けてもらって病院の外に出ると、日は傾き夏の終わりを告げる秋の虫が鳴いている。さっきより頭が重たい。1人電車にのって家に帰った。

 

当時21歳の僕は大学を中退してまで臨んだ芸大受験の全てに失敗してぶらぶらしていた。「なんや、俺落とすて、芸大て見る目ないねんな。」芸術の才能があって頭も切れる。何でもできるはずの自分が、ことごとく社会に受け入れられない現実に立ち往生していた。自己評価と現実の距離は相当開いてる。そんな憂さを晴らすために、友人と半年前から東南アジアの旅を計画していた。パチンコ屋での退屈なアルバイトで旅費を貯めてカメラも買った。旅に出ることで、行き詰まった自分の状況が大きく変わるような気がしていた。

 

10月下旬の深夜、自室で旅の支度をしてた僕は父の足音に気づき、部屋から顔を出して言った。

 

「明日から誠とタイ行ってくるわ。2ヶ月。おかん大丈夫やんな。」

「ほんまに行くんか・・・。まあ、ようなってきてるし大丈夫やろ。ほなこれ持って行けや。」

「えっ、こんな貰ってええの。ありがとう。」

「気いつけて行ってこい。手紙、ありがとうな。お前のお母さん涙流して喜んどったぞ。」

「そうなんや。うん、わかった。」

 

そう言って父は寝室への階段を上っていった。父から2万円も貰うのは初めてだった。

 

 

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 「Picture of My Life」を展示させて頂いている,地元大阪の梅田蔦屋書店さんで出版記念のトークライブ&サイン会を行います。9月3日(日)14時〜16時です。

本作を作った動機と経緯,これからの事なんかを話したいです。「Picture of My Life」の手製ダミーブックも持って行きます。ご都合よろしければいらしてくださいね。