6. 家族アルバム
旅から帰宅し、唐突に両親の死に近づいた僕は、目の前で起きている事の理不尽さにただ呆然としていた。寝て起きたら夢だった。なんていう落ちはついてないみたいだ。痛くても、悲しくても、酒をあおって酩酊し気絶するように眠っても、時計の針はただ前に進む。
絶望に飲み込まれそうになりながら、僕は目の前のありのままを記録し、今しかない感情を残そうとした。写真を撮る事で自分を死の淵に連れてきたこの出来事に、少しでも抵抗したかった。
2人の遺影が並んでいる祭壇の写真を撮ったとき、両親の自死が作品になる事を確信し、自分は生涯両親について考え続けることになるだろうと思った。
過ぎ去った幸福な日々は、家族が共有する思い出の中にある。そして家族の歴史がつまった家族アルバムは、その幸福が確かにあったものとして証明してくれる。
母の死後、父は家族アルバムの編集をした。1ページにクリアポケットが3つ付いた何処にでもあるアルバム。表紙には父の字で ”思い出” と書いてある。泣きながら、もう帰れない場所の断片を集めた父。旅から帰った僕は、父が自死を前に編集した家族アルバムを見た。それは、母と父の幼少時のモノクロ写真で始まる。出会ったばかりの初々しい2人、結婚式、2人の息子の誕生、みんなが笑顔でうつった写真ばかりを集めた、どこにでもあるような家族アルバムは、まるで父の遺言のように見えた。
「この幸福がもうないのなら、この世界に妻がいないのなら、ここで生きて行く意味はもうないんだ。」と父は言っている。
僕は父が編集した家族アルバムから、これまで経験したことのない衝撃をうけた。父は自死することを決めて、この家族アルバムを作っている。それは妻への愛を綴った手紙のように見えた。死に引き寄せられそうになる僕に生きる力を与えたのは、家族アルバムの中の幸せな家族の記憶だった。