順平の日記

写真家 上田順平の日記・エッセイ・お知らせなどを発信するブログです。皆様よろしくお願いします。

9/3(日)14時〜16 時 梅田蔦屋書店でトークイベントを開催します〜。

いよいよ3日後に迫った梅田蔦屋書店でのトークイベント。当日は僕が写真集「Picture of My Life」 を出版するまでのお話をさせて頂きます。写真集出版を目指す方々に少しでも参考になれば嬉しいです。関西の皆さん、9/3(日)14時〜16時は梅田蔦屋書店にお越しください〜。

2015年に参加したリマインダーズギャラリーでの手製本WSで、本作の原型を作りました。これがその時に作った1stダミーです。ここから本が進化していきます。当日はこれも持っていきますね。

 

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8. 新しい家族

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写真で食べることを諦めた僕は27歳の時に、家業の運送会社で兄と一緒に働きはじめた。

「社長はええ男やった。震災の時なんか1番最初に自分でトラックにのって、神戸に新聞持って行ったんや。あん時、神戸に新聞つけたんはうちの会社だけやったんやぞ。」

「アケミさんが自殺して社長が後追いはったときはびっくりしたけど、まあしゃーないわ。あの2人仲よかったもんな~。」

職場の人たちは僕の知らない父の話を聞かせてくれた。僕は両親の自死を隠す必要がないこの場所に救われた。新しい家族をつくれば何かが変わるような気がしていた。

 

30歳のとき、知人の紹介で香織と知り合った。控えめだけどしっかりと自分の意思をもった美しい女性。おおらかで細かいことを気にしない所が母に似ているかもしれない。 彼女も僕のことを気に入ってくれて、2010年に僕らは結婚した。

 

翌年の春、香織は妊娠した。大きくなっていく妻のお腹を見ていると無性に写真を撮りたくなった。目の前を残したい一心で出産に立ち会い、新しい命の誕生を写真に収めた。当たり前すぎて忘れていた僕の中の欠落がゆっくりと埋まっていく。絶望に引きちぎられ、失っていた臓器が新しく造られるような感覚。娘を見る僕の眼差しは両親が僕を包んでいたものと重なる。僕はこんなにも愛されていたんだ。

 

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「Picture of My Life」を展示させて頂いている,地元大阪の梅田蔦屋書店さんで出版記念のトークライブ&サイン会を行います。9月3日(日)14時〜16時です。
本作を作った動機と経緯,これからの事なんかを話したいです。「Picture of My Life」の手製ダミーブックも持って行きます。ご都合よろしければいらしてくださいね。

 

 

7. 写真学生

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「今年の7月に世界が破滅するって、予言者が言うてたらしいけど、なんも起こらんかったな。うちの家族は去年ぶっ壊れたけど…。世界なんか全部終わったらええのに…。」1999年12月、両親の一周忌が終わった後、僕は兄に言った。

 

両親の死後、時間は何もなかったように流れて、世間は僕に生きることをしいる。内臓がもぎ取られたような痛みがある。思考を前に進めることが出来ない。“現実を受け入れる” なんて理性的な言葉があるけど、自分ではコントロール出来ない力で、この言葉を拒否している僕がいる。両親の自死を思い出すことと、憐れみの目を向けられることが苦痛だった。そのうち人とうまくコミュニケーションが取れなくなった。両親の自死が人に言えない自らの欠落となり、人の目を見ることができない。父が作った家族アルバムは押し入れにしまって見ないようにした。できるだけ何もせずに、ただ眠っていたかった。

 

家族6人で暮らした大きな家に22歳の僕1人で住んでいた。脱いだままの服が散らかり、観葉植物は枯れ、あんなに綺麗だったリビングが埃にまみれた廃墟のようになった。家は住む人によって生き物のようにその姿を変える。家族みんなで住んでいた頃の清潔で安定した空間は、あっという間に不安定な僕の内面を反映した。ただ、時間が流れて少しづつ両親の記憶が薄れることは僕にとっては救いでもあった。食べるために働き、新しい情報を入れ、目の前を写真に収めて前に進む。生きるための作業を行うことで、少しづつ両親を思い出さない日が増えていった。

 

 両親の自死を核にした写真作品を作りたい。悲しみにくれる自分とは別に、作家として冷酷に両親の自死を値踏みしている僕がいる。両親の相次ぐ自死が表現する愛と絶望を直視して具現化すること。父が自死を前に編集した家族アルバムを見たときに僕を貫いたあの感覚を人に見せることが出来れば、凄いものになると確信していた。

 

23歳で写真学校の夜間部に入学して技術を学んだが、祭壇や遺骨の写真を人に見せることができなかった。この頃の写真を見ると感情が乱れて、写真を素材として扱えない。

写真で生計を立てることを考え、雑誌で人物紹介の写真を撮ったが気持ちが入らない。何度か試して自分が撮影する意味を見つけられずに辞めてしまった。僕の思う写真はこれじゃない。だけど、自分のために撮った写真は孤独なものばかりで、人に見せたくなかった。自分の求める写真がどんなものなのか分からない。このころの写真は僕に自らの孤独を突きつけるだけだった。次第に写真に関わることの全てが苦痛になっていった。26歳の僕の人生を前に進めるのは写真ではなく、自立した大人になることだと思った。家族で過ごす、なんでもない幸福が欲しかった。

 

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「Picture of My Life」を展示させて頂いている,地元大阪の梅田蔦屋書店さんで出版記念のトークライブ&サイン会を行います。9月3日(日)14時〜16時です。
本作を作った動機と経緯,これからの事なんかを話したいです。「Picture of My Life」の手製ダミーブックも持って行きます。ご都合よろしければいらしてくださいね。

 

 

LUMIX MEETS /BEYOND2020 BY JAPANESE PHOTOGRAPHERS#5 に参加します。

「Picture of My Life 」がBEYOND2020 世界3都市巡回展示に参加させて頂きます。

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アムステルダム 2017年9月21日〜24日
会場 KunstENhuis 
 
◯東京 2017年10月5日〜14日
会場 amana Gallery
 
◯パリ 2017年11月3日〜19日
会場 Galerie Nicolas  Deman
 
世界中の人達と「Picture of My Life 」を共有できるのは、とても嬉しいです。お近くの方はぜひご覧下さい。

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「Picture of My Life」を展示させて頂いている,地元大阪の梅田蔦屋書店さんで出版記念のトークライブ&サイン会を行います。9月3日(日)14時〜16時です。
本作を作った動機と経緯,これからの事なんかを話したいです。「Picture of My Life」の手製ダミーブックも持って行きます。ご都合よろしければいらしてくださいね。

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6. 家族アルバム

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旅から帰宅し、唐突に両親の死に近づいた僕は、目の前で起きている事の理不尽さにただ呆然としていた。寝て起きたら夢だった。なんていう落ちはついてないみたいだ。痛くても、悲しくても、酒をあおって酩酊し気絶するように眠っても、時計の針はただ前に進む。

絶望に飲み込まれそうになりながら、僕は目の前のありのままを記録し、今しかない感情を残そうとした。写真を撮る事で自分を死の淵に連れてきたこの出来事に、少しでも抵抗したかった。

2人の遺影が並んでいる祭壇の写真を撮ったとき、両親の自死が作品になる事を確信し、自分は生涯両親について考え続けることになるだろうと思った。

 

過ぎ去った幸福な日々は、家族が共有する思い出の中にある。そして家族の歴史がつまった家族アルバムは、その幸福が確かにあったものとして証明してくれる。

母の死後、父は家族アルバムの編集をした。1ページにクリアポケットが3つ付いた何処にでもあるアルバム。表紙には父の字で ”思い出” と書いてある。泣きながら、もう帰れない場所の断片を集めた父。旅から帰った僕は、父が自死を前に編集した家族アルバムを見た。それは、母と父の幼少時のモノクロ写真で始まる。出会ったばかりの初々しい2人、結婚式、2人の息子の誕生、みんなが笑顔でうつった写真ばかりを集めた、どこにでもあるような家族アルバムは、まるで父の遺言のように見えた。

 

「この幸福がもうないのなら、この世界に妻がいないのなら、ここで生きて行く意味はもうないんだ。」と父は言っている。

 

僕は父が編集した家族アルバムから、これまで経験したことのない衝撃をうけた。父は自死することを決めて、この家族アルバムを作っている。それは妻への愛を綴った手紙のように見えた。死に引き寄せられそうになる僕に生きる力を与えたのは、家族アルバムの中の幸せな家族の記憶だった。

 

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「Picture of My Life」を展示させて頂いている,地元大阪の梅田蔦屋書店さんで出版記念のトークライブ&サイン会を行います。9月3日(日)14時〜16時です。
本作を作った動機と経緯,これからの事なんかを話したいです。「Picture of My Life」の手製ダミーブックも持って行きます。ご都合よろしければいらしてくださいね。

 

5. 死の淵

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1998年11月27日夜。雨が降る中、母は家を出た。

父は夜中の仕事に備えるため、19時~22時頃まで仮眠をとるのが習慣だった。起きてきて家に妻がいないことに気づいた父は近所を探したが見つからない。警察に捜索願いを出し、兄と職場の同僚に助けを求めて、手分けして一晩中近所を探し回った。

明け方、父の携帯電話に警察から電話が入る。区内で中年女性の飛び降り自殺があった。奥さんかもしれないので確認しに来いとのこと。父と兄は警察の遺体安置所へ向かった。2人はどんな気持ちで、もう動かない母に会ったのだろうか。

僕は何をしていたのだろう。母はなぜ自分を殺してしまうほどに孤独になってしまたのか。

 

妻の死後、父はずっと酒を飲んでいた。糖尿病のために普段は酒を控えていたが、妻の自殺という現実を前に、しらふでいることが出来なかったのだろう。

「このアホ自殺なんかしやがって!」と言って泣きながら妻の棺を蹴っていたそうだ。悔しくて、悔しくて、しょうがない…。そんな父の気持ちが痛いほどに伝わってくる。兄は父が社長を務める家業の運送会社に入社したばかりで、母の葬儀の後、2人は一緒に酒を飲みながらこれから頑張ろうなと励ましあった。

 

「アホの順平は何やっとんねん。あいつ帰ってきたらお前どついとけ。あいつがおったらお母さんは死なんかった…。お母さんはいっつも順平のけつ付いて回っとったやろ…。」

 

12月7日そんな会話の後、19時頃に兄は夜中の仕事に備えて仮眠を取るために寝室に入った。父は明日から仕事復帰し、取引先に妻の葬儀の挨拶回りに行くと兄に伝えていた。

22時過ぎ、兄は眠りから覚めてトイレに行こうと寝室を出た。トイレ横の屋上へ向かう階段の暗がりに、何かがあるのが視界に入る。寝ぼけた目を凝らして見ると、父が首を吊っていた。

 

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「Picture of My Life」を展示させて頂いている,地元大阪の梅田蔦屋書店さんで出版記念のトークライブ&サイン会を行います。9月3日(日)14時〜16時です。
本作を作った動機と経緯,これからの事なんかを話したいです。「Picture of My Life」の手製ダミーブックも持って行きます。ご都合よろしければいらしてくださいね。

 

 

Picture of My Life トークライブ in 梅田蔦屋書店 9/3(日)14時〜16時

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 来週の日曜日,9月3日14時〜16時に「Picture of My Life」を展示させて頂いている,梅田蔦屋書店さんで出版記念のトークライブ&サイン会を行います。
本作を作った動機と経緯,これからの事なんかを話したいです。「Picture of My Life」の手製ダミーブックも持って行きます。
 
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Picture of My Lifeを見て、あなたの大切な人達を想ってくれたら嬉しいです。ご都合が宜しければぜひいらして下さい。上田家全員集合でお待ちしております。
 
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